有名公立大学のお友達から電話が来た。「早く合格してくれよ、心配してるんだからさ。」こいつは、大会社に就職をして、とっても偉くなってるから、良い奴なのだ。
しかし、ぶにゃねこの偏差値はなかなか上がらないのでした。40辺りをウロウロかもしれない。
勉強しても全然手応えないし、勉強したところがぜんぜんでないしー、こりゃ分からんねえな、という感じなのでした。
しかし、ある日の春。やっと結果が着いてきたのでした。
偏差値52か。んー、まあ、入れない大学はあるにはあるが、ここで満足できるかと言うと、何しろ目標は早稲田大学なのでした。
でも、この調子で行けば何とかなる可能性がちょっとはあるかもしれないにゃー、と思い、ぶにゃねこなりに、せっせと勉強を重ねていったのでした。
日本史のノートはそれなりに立派なものになっていきました。
そして、夏の模試。
ぶにゃねこは塾のエレベーターで狂喜乱舞しました。
日本史・偏差値72
偏差値40地獄から、ついにぶにゃねこは自分を取り戻した!
漢字で書けばマルが貰える答えもなんかバツにされてるし、74くらいあるんじゃないか?猫は鋭いにゃ!(つ*`ΦwΦ′*)っーービシィッ!
国語、英語は もそこそこで、平均偏差値62と、ようやく目標に出来る大学が視野に入ってきたのでした。
しかし、塾の教室では、人の咳払いや鼻を啜る音が気になって、振戦(ふるえ)が起こるし、やっぱり変なやつ扱いされてしまうのでした。これが病気の症状と判明したのは、十数年も後でした。
とにかく、個人的に偏差値60以上という人権を取り戻したので、考えることは、幼馴染のことばかりになってしまいましたにゃ。
全然勉強、しないかというと、そうでもなかったのですが、厚かましくも、早慶対策の講座を受講してしまったり、早慶模試を受験してしまったり。
ちょっと、今考えると、時間の無駄だったかと言うと、そうでもないかもしれませんにゃ。ただ、早稲田対策の日本史講座は、一問も的中しなかったことを記しておきたい。
さて、幼馴染は現役で無事大学進学を果たしたような気がしないでもないのだが(*`ΦwΦ′*三*ΦwΦ′*)一応、自分が通っていた進学校だからにゃ。どうやら振られたらしい。
あいつの方からラヴコールがあったこともあったのににゃー。人生は厳しいにゃー。
まあいい。とにかく冬の受験シーズンにゃ。頭の中は幼馴染のことばかりだったけど、GMARCH模試では無事B判定を叩き出し、これならどこかに引っかかる蓋然性がある、と言えるのではないかレベルまで成長したのでした。
さて、受験シーズン到来。
まずは、滑り止め大学からか。赤本やってないけど平気やろw
ところが、現代文の問題を見て大焦り!どの選択肢も正解に見える、全部奇問でした!
これ、国語で稼ぐしかないんだけど、赤本やってないと、癖がつかめないにゃ!その上、漢字の読みにカタカナを使えと言われたのに平仮名で書いたら、その点だけで落とされたにゃ!
まさか、滑り止め大学を落ちるとはにゃ!でも、あそこに通っていたら、結構、今頃得をしたかもしれない・・・。
まあいい、次戦はGMARCH4連戦にゃ!
今まで勉強したノートを背負って、ぶにゃねこはどこかには引っ掛かるであろう試験に立ち向かうのでした。
初戦。
・・・・・・ちょっと、問題が難しすぎないかにゃ?こんな英熟語みたことねーよ!
でも、国語は最後まで目を通したぞ、選択肢の吟味は出来なかったが5に丸をしておいた。なにしろ、現代文全体を把握してなきゃ解けない問題だからにゃ、テキトーだけど、何かが起きる気がしないでもない。
次戦。
ここは、高校のクラスメイトが行った大学にゃ!多分、受かると思う。国語は硬質な文章ながら、選択肢は平易なものが多いので、自分に特化した問題にゃ!
だが・・・・・・、ぶにゃねこの武器の日本史が、教科書を丸暗記したはずなのに、マイナー出版の資料集から出題されてるにゃ!江戸時代の人口の分布なんて分かる奴おる?これは、運ゲーにゃ!
三戦目。
ぶにゃねこはいきなり負けた。英語の問題の字が読めない。
そんな馬鹿な、と思われる人も居られるかと思うのだが、赤本の問題と違う問題が出て、試験問題も回収されたのだ。
英語の問題の字が英文だったはずなのだが、それが日本語だし、問題自体も全く別物だったのだ。
ちなみに、日本史は本気で95点くらい取れたのだが、英語は全部の問題と解答欄が意味不明だったので、0点に間違いない。これでは、どうしようもないにゃ。
くたくたの4戦目。
ここは、ぶにゃねこの必殺の英単語量が炸裂し、英作文以外はほぼ完璧!量で攻めてくるタイプの試験だったのだが、要領よくこなし、むしろ時間が余るほどハマったのだった。国語と日本史も無難にこなし、入学した中では、トップクラスの成績であったらしい。
ふー、疲れた、くたびれた。
ぶにゃねこが四戦目から戻ると、一戦目の合格通知が届いていた。
なんと、第二志望での合格だったので、国語の最後の問題次第では、落ちていたかもしれないとのことだったのだ。
のちに、赤本で見た結果、正解の肢は、自分が出題者の意図を汲んだかどうか分からない、適当に選んだ5であったのだ。
二戦目は、合否通知が届かなかった。不思議ですねー。
三戦目、問題の字が読めないのでは、受かる筈もなく、合否通知もありませんでした。
オーラスの四戦目。一見、高級そうな書類が送られてきました。ぶにゃねこの勝ちです。
目標であった早稲田大学の入試は、わかる問題が三教科中一つだけあって、王仁(わに)と記述して、これが早稲田大学か、と悟りを得て帰りました。
憧れであった早稲田大学には程遠いものがあったが、まあいいか。日本史の偏差値が70あっても敵わないのではどうしようもない。
とにかく、人生のレールを再び軌道修正することが出来たかもしれない、などと喜び、春休み中、FFなどをやり込んでいたのである。